みると通信:認知症高齢者の鉄道事故~第3回~

平成28年3月1日、認知症高齢者の鉄道事故について、被害者の遺族に対し、監督者としての責任があるかが争われた裁判の最高裁の判決が出されました。

結論は、遺族の責任を否定しています。
名古屋高等裁判所での平成26年4月24日判決では、91歳の認知症のおじいちゃんの妻(当時85歳)の監督義務者としての責任を認めて、賠償を命じていました。その理由は、①夫婦は同居して互いに協力し、扶助する義務を負うことから、身上監護の義務があること、②当時の精神保健福祉法では、精神障害者の配偶者は保護者となって、治療を受けさせたり、医師の指示に従わせたりする義務があることがあげられていました。
このサイトのコラムでは、夫婦間の協力扶助義務や既に廃止された精神保健福祉法の保護者制度を根拠に、鉄道会社への損害賠償責任を認めた判決は時代錯誤であると指摘していました。

最高裁判所は、名古屋高等裁判所の判決を破棄して、鉄道会社の請求を棄却しました。 精神保健福祉法の保護者であることだけでは直ちに法定の監督義務者にあたるものではないとし、夫婦の協力扶助義務も配偶者の生活を自分自身のものとして保障するものであり、監督する義務を基礎づけるものではないとしました。つまり、精神障害者と同居する配偶者だからという理由だけでは、法定の監督義務者になるというものではないということです。
しかし、最高裁判所は、認知症の配偶者が監督義務者になる可能性がある場合についても指摘しています。
その判断の方法としては、

  • ・その人の生活状況や心身の状況
  • ・本人との親族関係の有無・濃淡
  • ・同居の有無その他の日常的な接触の程度
  • ・本人の財産管理への関与の状況など
  • ・本人の心身の状況や日常生活における問題行動の有無・内容
  • ・これらに対応して行われている監護や介護の実態

今回の事件では、妻も要介護認定を受け、身体に不自由があり、現実的に監督が可能な状況ではなかったことから、監督義務を引き受けた特段の事情はなかったとされました。
また、この夫婦宅を月数回訪ねていた息子についても、監督が可能な状況ではなかったとして、責任を否定しています。

妻は、認知症の夫の成年後見人ではありませんでしたが、判決では、成年後見人の義務が、現実の介護や、行動監視義務を含まない身上配慮義務に改められたことにもふれ、後見人であることだけでは直ちに法定の監督義務者にあたらないとも述べています。
後見人を引き受けている方にとっては、後見人というだけで被後見人を始終監督しなければならないのか、という不安は取り除かれたことになります。

今回の判決は、配偶者、後見人や保護者の義務について、現実を見据えた判断ではないかと思います。

認知症の家族と暮らす者としては、徘徊しないように、他人に迷惑をかけないように常に気をつけて生活していることと思います。そうすると、その日常の監督実態が濃密であるほど、認知症の患者が他人に損害を与えた場合、家族にも責任が及ぶ可能性があります。そのため、介護に積極的な者ほど責任を負うことになるとの問題点も指摘されています。
他方で、責任を緩く解すると被害者の救済ができないとの指摘もあります。
今回はJR東海のような大企業が相手だったため、遺族の責任は否定されましたが,もしも相手が個人や小さな企業、事業所だった場合には,被害者を救済する必要性が高まり,違う判断もあり得たかもしれません。

認知症の家族と暮らす者の厳しい現実と、もしものときの被害者救済を社会としてどのように考えていくか、課題は残ったままだと思います。