愚行権について【第3回】

 

とても考えさせられる対談だったと思います。
もちろん何が愚行なのかという問題もありますが、障害のあるなしにかかわらず誰でも愚行しているのかもしれません。
ただ、その行いが収入や資産の範囲内であったり、日常生活や家庭内に支障が出ない範囲内であれば問題ないことが、知的障害のある人や認知症の人が行うと関係者が一方的に問題視したり、本人の好きなことを取り上げたりすることは、障害のある人や認知症の人を尊重していないと言われても仕方がないことではないかと思います。支援する側としては、最後に相談員の方が言われているような支援、つまり、本人と信頼関係を築いたうえで話し合っていく姿勢が求められるのではないでしょうか。

自由と依存症

最後に、先ほど愚行権との関係で問題点があるとお話したことについて説明します。
その一つは、「ほっといてほしい」という自由と依存症の問題です。
依存症は、脳にある報酬系という「ごほうび」を求める回路に影響を与え、個人が自身の行動を制御することを難しくしてしまい、その結果、健康や社会生活に深刻な影響を及ぼしてしまう病気であると言えます。

つまり、依存症に陥っている人には、依存の対象との間に本人の自由意志に基づく選択は機能していないといえ、そこには医療を含め専門家の介入が必要で
「愚行権」の範疇を超えている問題だと思います。

「ひきこもり」問題

次に、いわゆる「ひきこもり」問題です。
引きこもり状態にある人に対して、何かしたいことがありますか?と尋ねると、「ほっといてくれ!」ということになるでしょう。
ここでいう「ほっといてくれ」と愚行権のところでの「ほっといてほしい」とは少し次元が異なっていることに注意する必要があります。

ひきこもりの原因については、いくつかの要因が複雑に関係していると言われていますが、いじめや人間関係のトラブル、親の過干渉、失業や学業の失敗等による社会的ストレスが続くと脳内の神経伝達が抑えられ、不安感が強まるといった脳内のメカニズムが影響していることが京都大学の研究チームによって明らかにされています。
この「ひきこもり」もまた、専門家による介入が必要な場面であり、「愚行権」の範疇を超えている問題だということになります。
他の人から見て愚かな行動と言っても、その行動の基にあるものによって、尊重されるべきものであったり、専門家などによる介入が必要なものであったりで、ひとくくりにはできないもののようです。
しかし、共通して言えることは、どんな場合であっても、本人を尊重するという基本的なスタンスで、支援者一人ひとりが本人を支援する輪を作っていこうという気持ちを忘れないことが大切だと思います。