愚行権について【第1回】

「意思決定支援」

最近、障害者支援の現場で「意思決定支援」という言葉を耳にするようになってきました。この意思決定支援とは、簡単に言うと障害などによって自ら物事を決定することができない人に寄り添い、本人自身が自らに関することを決定できるように支援するということです。この「意思決定支援」の根本は、誰もが障害のある人を尊重し、その尊厳を守るということに他なりません。ここで、本人の意思決定を尊重する必要があるというと必ず問題として指摘されることがあります。その一つがいわゆる「愚行権(ぐこうけん)」に関する問題です。

ウィキペディアによれば、愚行権(ぐこうけん、英語: the right to do what is wrong/the right of(to) stupidity)とは、たとえ他の人から「愚かでつむじ曲りの過ちだ」と評価・判断される行為であっても、個人の領域に関する限り誰にも邪魔されない自由のことであるとされています。簡単に言うと、そんな馬鹿なことはしない方が良いと言われても「自分の問題なのでほっといてくれ」という、ある意味もっともなことかもしれません。しかし、ここにはいくつかの問題点があり、後にその問題点を上げますが、その前に障害者総合支援法上の障害福祉サービスを受けておられる当事者の方と、その相談支援専門員、ヘルパーさんに、この「愚行権」ということについて率直な意見、感想を語り合っていただきましので、そちらから紹介させていただきます。

(1)愚行権と聞いて感じる事

相談員:幸福追求権と合わせて考えていくものだと思う。誰にとっての愚行なのか?を無視できないからね。そもそも、なんでそれ(一般的に愚かな行為とされるもの*注筆者)が必要と本人が思っているのか?  あと、愚行権って言葉がなんか嫌よね。愚行ではなくて、好行(幸行)権って呼べたらもっと意識ができるのではないか?

本 人:言葉の意味がわかりにくいのが正直な感想かな。

愚行権ではないかもしれないが、みんな夜は寝たい時間に寝る、起きたい時間に起きる、食べたい時に食べる、飲みたい時に飲む。

例えば、GH(施設)ではそれすら、選べないのはどうかと思う。

それが当たり前になっている現状では違うのではないかな~。人が生きていく上でやりたい事ができないのはしんどいし。

僕は、人として生きていく為には、食べる・寝る・嗜好品なども含めて必要。人生を豊かにしていくものだからね。

ヘルパー:人が持っている権利って、改めて考えないですよね。権利について語り合う時間がないので、愚行権を知らない事もある。
知らないからこそ、それぞれの立場での温度差が出てくる。そもそも、ギャンブルとかをダメ(愚行)ってなっているのがおかしくない?ギャンブル=エンターテインメントじゃないの?

相談員:愚行って、決めているのは、そもそも周りだもんね。だから、そもそもこんな権利がなくても当たり前にやりたい事はできる!ここがあれば、権利について考える必要もないしね。コンサートも映画もお酒もギャンブルも同じ、大切な人生を豊かにする時間かな。